ロシアより愛をこめて
大黒屋光太夫がエカテリーナ2世から拝領した「金時計」の作者を捜せ?
『北槎聞略』の図から、18世紀末フランス高級懐中時計の系譜をたどる
大黒屋光太夫の物語は、単なる漂流譚ではありません。
伊勢の船頭が遭難し、極寒のロシアを生き延び、ついにはエカテリーナ2世に謁見し、日本帰国の道を切り開いた。
その劇的な歴史の中には、もうひとつ、時計好きにとって見逃せない要素があります。
それが、光太夫が女帝から拝領したとされる「金時計」です。
この時計は、桂川甫周がまとめた『北槎聞略』の「器什」に描かれており、文化遺産オンラインでも、光太夫と磯吉が女帝から拝領したメダル・時計・煙草入れなどが図示されていると説明されていますが現在は行方不明。
では、その金時計は誰の作だったのでしょうか。
現時点で作者名を示す一次資料は確認されていません。 しかし、図像、時代、宮廷文化、18世紀末フランス高級時計の文脈を重ねることで、候補をかなり絞り込むことはできます。

*既存資料のアールデコ調の時計の作者不明の写本のみ
大黒屋光太夫とエカテリーナ2世。金時計はどんな文脈で渡されたのか
まず史実を確認しておきます。
大黒屋光太夫は漂流ののちロシアに渡り、1791年、エカテリーナ2世に謁見しました。国立公文書館の解説でも、光太夫が女帝に面会し、帰国の願いを申し出たことが確認できます。二人の関係については歴史的な文献がないので未だ不明です。
そして『北槎聞略』の「器什」には、光太夫と磯吉が女帝から拝領した品々...メダル、時計、煙草入れなどが描かれています。ここで重要なのは、この時計が宮殿の大時計ではなく、個人が携帯する贈答用時計だったという点です。つまり、光太夫の時計は、エカテリーナ宮殿の室内装飾時計とは別系統の、身体に帯びる高級懐中時計として考えるのが自然です。
この時点で、時計の候補はかなり絞られます。
王侯が外国人に賜う「金時計」としてふさわしいのは、実用品であると同時に、文化的威信を体現する高級懐中時計です。1791年前後のヨーロッパで、その役割をもっともよく担っていたのは、フランス、スイス、イギリスの高級時計でした。なかでも、ロシア宮廷のフランス趣味を考えると、フランス系高級懐中時計をまず疑うのが筋です。
『北槎聞略』の図から見える時計の特徴
公開されている図を見ると、この時計にはいくつかの特徴があります。
丸型のケース、白い文字盤、青い針に見える針、装飾的な長い鎖、そして二重に見えるアラビア数字。 これらは単なる実用時計というより、宮廷的な贈答用時計の雰囲気を強く感じさせます。
ただし、ここで注意すべきなのは、この図が写真ではなく写生図だということです。
国立公文書館も、この「時計、顕微鏡等が詳細に模写されている」と説明しています。つまり、非常に重要な史料ではある一方で、文字盤の数字や針の細部が、実物そのまま厳密に再現されているとは限らないのです。
たとえば、文字盤に見える二重のアラビア数字は、現代の時計愛好家からすると珍しく感じられます。ですが、18世紀の懐中時計には、1–12に加え13–24を併記する24時間表示の例が存在します。英国博物館の所蔵品にも、1–12と13–24を併記した白エナメル文字盤の懐中時計が確認できます。したがって、この図の二重数字は、まったく不自然なものではありません。

エカテリーナ2世の宮廷で使われた時計文化
では、エカテリーナ2世の宮廷は、誰の時計を受け入れていたのでしょうか。
ここでまず名前が挙がるのが、ロシア人発明家 イワン・クリビン です。1769年、クリビンは精巧な卵形時計をエカテリーナ2世に献上し、それをきっかけに帝室科学アカデミーの機械工房長に任命されました。つまり、女帝は時計を政治的・文化的象徴として高く評価していたことがわかります。
一方で、ロシア宮廷は国内制作だけでなく、西欧製高級時計も積極的に受容していました。
このため、光太夫が拝領した金時計がロシア国内製である可能性は残るものの、西欧製、とくにフランス系の高級懐中時計である可能性はきわめて高いと言えます。エカテリーナ2世のロシア宮廷が、18世紀後半ヨーロッパでもっとも洗練された趣味の受け皿だったことを考えれば、これは自然な推定です。
★作者候補を絞る🔭
18世紀末フランス系高級懐中時計の有力時計師たち
ここからは、あくまで推定です。
しかし、1791年前後、金の懐中時計、宮廷的な贈答品、青い針、端正な白文字盤という条件を重ねると、候補はある程度整理できます。当時のフランスとロシア、スイスの関係性も重要です。

1. アブラアン=ルイ・ブレゲ
まず第一候補として挙げざるを得ないのが、アブラアン=ルイ・ブレゲです。
ブレゲ社の公式ヒストリーによれば、彼は1775年に創業し、1783年にいわゆるブレゲ針を、1786年にはブレゲ数字を打ち出しました。つまり、光太夫が金時計を拝領した1791年という時点で、ブレゲはすでにパリ随一の洗練された高級時計師として活動していたことになります。
この図の時計に見える青い針は、時計好きならまずブレゲを連想するでしょう。
もっとも、青い針それ自体はブレゲだけの専売特許ではありません。しかし、青針・アラビア数字・簡潔な文字盤という組み合わせは、18世紀末フランス高級時計のなかでも、きわめてブレゲ的な方向を向いています。
ただし、ここで断言はできません。
ブレゲをブレゲたらしめる決定的な特徴は、針先の“月形”の穴、数字の独特な書体、ギヨシェ装飾、署名などの総合です。『北槎聞略』の図からは、そこまでは読めません。したがって、現段階で言えるのは、「ブレゲが第一候補だが、断定不可」ということです。

2. ジャン=アントワーヌ・レピーヌ
次に有力なのが ジャン=アントワーヌ・レピーヌ です。
レピーヌはルイ15世の王室時計師で、懐中時計の薄型化を推し進めたレピーヌ・キャリバーで知られます。メトロポリタン美術館の解説でも、彼の時計は革命前夜のパリで“slim elegance”、すなわち薄く端正な優雅さで名を馳せたとされています。
また、レピーヌはアラビア数字の積極的使用でも知られます。
このため、『北槎聞略』の図に見える二重アラビア数字が、もし実物の印象をある程度反映しているなら、レピーヌ系統の文字盤設計を連想させる面もあります。さらに、ブレゲ自身が若いころレピーヌの影響を強く受けていたことを考えると、ブレゲに似た端正さを持ちながら、より広いフランス高級時計の文脈としてレピーヌを候補に挙げるのは妥当です。

3. ロベール・ロバン
第三候補は ロベール・ロバン です。
ロバンはルイ16世期の王侯・宮廷向け時計師として知られ、メトロポリタン美術館にもca. 1790のパリ製懐中時計が収蔵されています。年代がぴたりと重なり、しかも「宮廷的な贈答品」という性格ともよく合います。
ロバンの魅力は、高級でありながら、過度に実験的すぎない上品さにあります。
もし光太夫の金時計が、ブレゲほど革新的な意匠ではなく、それでも宮廷贈答品として十分に格式高い一作だったなら、ロバンのような王室時計師の作品である可能性も十分考えられます。
では、誰がもっとも近いのか?????
ここまでを整理すると、候補の優先順位はこうなります。
第一候補:ブレゲ?
第二候補:レピーヌ系統?
第三候補:ロバン?
この順番になる最大の理由は、図に見える青い針と端正な文字盤です。
この二点は、18世紀末のフランス高級懐中時計全般に見られるとはいえ、やはりまずブレゲ的な洗練を連想させます。次いで、アラビア数字の扱いと薄型・簡潔さを重視するならレピーヌ、そして宮廷向けの格という点ではロバンが続きます。
ただし、ここで何度でも強調すべきなのは、作者名を断定する資料はないということです。
『北槎聞略』に描かれているのは、あくまで拝領品の図像であり、文字盤署名、ムーブメント銘、ケース内側の刻印、ホールマークといった、時計師を特定する決定的な要素は見えません。したがって、この議論はあくまで「絞り込み」であって、「同定」ではないのです。
エカテリーナ2世と大黒屋光太夫の物語に、この時計をどう位置づけるか
この金時計は、単なる贈答品ではありません。
それは、ロシア帝国の頂点に立つ女帝が、日本から流れ着いた一人の船頭に与えた宮廷文化の結晶でした。光太夫にとってそれは、異国での厚遇の証であり、日本へ持ち帰ることのできたロシア文明の象徴でもあったはずです。
そして時計史の視点から見れば、この金時計は、18世紀末ヨーロッパ高級時計文化が、日本人の目にどう映ったかを伝える稀有な記録でもあります。国立公文書館が示すように、その姿は「詳細に模写」されました。そこには、時を刻む機械への驚きだけでなく、宮廷世界の洗練へのまなざしも宿っています。
だからこそ、この時計の作者を探る営みには意味があります。
たとえ結論が「ブレゲそのものと断定はできない」だとしても、ブレゲ、レピーヌ、ロバンといった18世紀末フランス高級時計の最前線が、その背後に立ち現れてくるからです。光太夫の金時計は、ロシアと日本をつなぐ物語であると同時に、パリの高級時計文化の影が差し込む歴史資料でもあるのです。
光太夫の金時計の作者は、現時点では不明。だが第一候補はブレゲ系統!?
現時点で確認できる史料から言える結論は、次のとおりです。
光太夫は1791年にエカテリーナ2世に謁見し、女帝から時計を含む拝領品を受けた。
その時計は『北槎聞略』の「器什」に描かれている。
図像から見る限り、それは金の高級懐中時計であり、宮廷的な贈答品としてふさわしい作りである。
作者を示す直接資料はない。
しかし、年代・意匠・宮廷文化の文脈から最も有力なのは、18世紀末フランス系高級懐中時計、なかでもブレゲ系統であり、次いでレピーヌ系統、ロバンと続く。是非この謎を解読してみて下さい。
つまり、この時計の物語は、まだ終わっていません。史料の行間に残るその小さな丸い時計は、今なお、「これは誰の作品だったのか」という問いを、私たちに投げかけ続けているのです。パテック、チャペック、ブレゲそれを繋ぐ歴史を追っても面白いかもしれません。フランス、チェコ、ウクライナ、トルコ等の時計師達の活躍を調べても面白いかもしれません。
この謎を既に解き明かした時計ファンの皆様是非、コントワーヌまでご連絡下さい。
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次々と起こる戦争がまだ終わらない時代に平和が訪れる事を願い本記事を締めくくります。自由という意味が再度問われる中、自由とは何か?再度自らに問うきっかけになれば幸いです。芸術と工業、政治と宗教の連鎖を再度見直すきっかけになれば幸いです。
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